Organic Photographs
有機的な写真
Organic Photographs
写真は、作るものではなく起こるもの。
151画では、写真を「構成された結果」ではなく、関係の中で起こる出来事として考えています。
世界、被写体、撮影者。
光、時間、空気、距離。
さまざまな要素が相互に影響し合うことで、一枚の写真は生まれます。それは、外から組み立てられたものではありません。むしろ、内側から立ち上がる現象に近いものです。
151画は、このような写真のあり方を「有機的な写真」と呼んでいます。
organic は ギリシャ語の器官を意味する organon に由来しています。 それぞれの要素が独立して存在するのではなく、互いに関係し合いながら全体につながり機能している状態です。 生命体は、外側から部品を組み立てることで成立しているわけではありません。環境や時間、周囲との関係の中で自然に変化しながら、一時的な均衡として存在しています。
151画が考える写真もまた、それに近いものです。
創業期、幼稚園での撮影を続ける中で、私たちは、世界をコントロールしようとするほど写真が薄くなることに気づきました。
人は思い通りには動きません。
天気も変わります。
光も変わります。
感情や関係性も、絶えず揺れ続けています。
そうした流動的な世界に対して、構図や演出によって無理に秩序を与えようとするほど、写真はどこか現実から離れて自然さを失っていきます。
整えること。指示すること。正解へ寄せること。
そうした意思や操作を少しずつ手放した時、写真は「撮るもの」ではなく、「起こるもの」として現れ始めました。そこには、偶然性や揺らぎ、予測できなさが含まれています。151画は、世界を完全に整えることよりも、そのカオスを抱え、不完全さを引き受けることを選んでいます。
有機的なものは、均一ではありません。
穏やかさやあたたかさだけでなく、緊張や痛みのようなものも同時に含んでいます。
人の感情、光の揺らぎ、距離感、その場の空気。
写真は、それらが結晶化した痕跡でもあります。
写真は、変化し続ける世界の断面を一時的に留めたものなのかもしれません。そして、「有機的な写真」は、民藝運動の思想ともどこか響き合っています。
民藝は、作家の強い主張によって作られた作品ではなく、生活の中で自然に生まれてくる形の中に美を見出しました。私たちもまた、演出や作為を強く押し出すのではなく、世界との関係や空気の中から自然に立ち上がる写真に惹かれています。
151画では、その世界との関係の結び方を「まなざし」と呼んでいます。また、まなざしとは、世界をどう見て、どのように関わるかという、その人固有の関係のあり方です。
人も、関係も、時間も変化していきます。
写真もまた、固定されたものではなく、その変化の中で立ち上がります。
だからこそ、その複雑さをそのまま受け取りながら写真を撮り続けたいと思っています。