Diary

私たちの“まなざし”

 

こんにちは、個人や企業などの「一日」を写真に残している 151画 (ICHIGOICHIE) です。

早速ですが、みなさんはどんなふうに世界を見ていますか?
その「見方」には、これまでの人生すべてが滲んでいるかもしれません。私たち151画は、それを“まなざし”と呼んでいます。

 

 

「どうしてこの瞬間を撮りたくなったのだろう?」

写真に向き合うとき、ふとそんな問いが浮かぶことがあります。写真を撮る理由は、人の数だけあり、その奥には必ずその人だけの“まなざし”が息づいていると、私たちは信じています。これは、私たち151画が現場で出会い、重ねてきた、確かな実感です。

私たちは写真の活動を通して「まなざし」を育み、それを誰かと分かち合うことを大切にしています。分かち合いの中でお互いを肯定できたなら、それはとても嬉しいことだと考えています。

 

 

さて、そもそも「まなざし」とは何でしょう?

それは単に「見る」「見られる」という視覚的な動作を超えて、 “世界と自分との関係の結び方”をあらわす感覚と呼べるのではないでしょうか。あなたが何を見つめ、何を受け取り、どんなふうに反応したのか。 それが“まなざし”として現れ、それをもっとも自然に伝えられる手段のひとつが写真だと、私たちは考えています。

では、なぜ151画は「まなざし」をここまで大切に扱っているのでしょうか。

それは、「まなざし」こそが、写真を単なる記録から、その人自身の感情や人生観を映し出す表現へと変えるものだからです。

 

 

写真を撮るということは、世界の断片を切り取ることです。

私たちが大切にしているのは、ただ切り取って「記録」するだけでなく、その時、その瞬間の想いや感情などの「記憶」も写真に残すことです。そのような写真は、見る人の心を動かし、10年、20年先の未来において、きっと見る人の心を豊かにしてくれるはずだと考えています。

だからこそ、本当に大切なのは、 「その断片に、あなたがどんな意味を与えるか」ということではないでしょうか。

同じ風景でも、 ある人は「孤独」を感じ、 別の人は「希望」を見出す。

この“意味付け”は、誰かに正解を決めてもらうものではなく、 あなた自身の「生き方」や「これまでの経験」、 心の奥に積み重なった感情から自然に生まれてくるものです。

 

 

151画では、写真にその人の 個性想い を宿らせたいと思っています。 「うまく撮れたか」ではなく、 「私は何を感じて、この瞬間を残したのか?」 を意識すること。その過程こそが、写真を通して世界とつながる鍵なのだと考えています。

 

そして私たち151画のまなざしは「ありのままを肯定する」というものです。

写真は「何か特別な美しさ」だけを切り取るものではありません。何気ない日常の光、曇った空、誰かのふとした表情など、目の前の人、空間、空気感、関係性、そこにある全てが、すでに残すべき価値のある存在です。

そのことに向き合い、その存在を肯定し「これが美しい」と感じる、そのまなざしこそが私たちにとって一番大切なものなのだと考えています。