Diary

日常の贈り物

「日常の贈り物」… 先日ふと、こんな言葉を耳にしました。なんだか我に返ったような瞬間でした。私は、日常の中の幸せや豊かさ、今っていいなと思う瞬間は自分が見つけていくのだという、そんな思考に偏っていたことに気がついたのです。この「日常の贈り物」という言葉が、なんの違和感もなく頭に入り込んだ時、一瞬全てを考えるのをやめたくなるような、つい空を見上げてしまうような、そんな感覚になりました。この言葉が教えてくれたのは、私たちは日常の中に何か見つけようという動作をしなくても、当たり前のように贈り物を届けてくれていたということなのですから。

ただ、その贈り物を受け取ろうと思う意志が、あるとないとでは大きな違いがあるのだと思いました。

私は、その贈り物を少しでも多く受け取りたいのです。けれど、新しいものを受け取る時は、いつだって少しのゆとりが必要です。ゆとりのないバケツには、それ以上の水は入りません。水が目一杯になってしまったら、一旦は自分で水を外にかき出す必要があります。その場に任せて溢れさせていたら、自分のコントール下では無くなってしまう。私にとってそれは一番避けたいことです。

ゆとりを作るということは、とても難しいことも知っています。時間のゆとり。金銭的なゆとり。心のゆとり。もっといろいろなゆとりがあると思いますが、心のゆとりが一番目に見えにくく、自分のことなのにわかりづらいのだから困ったものです。

でも、その「こころのゆとり」に密接に関わってくるのは、やっぱり「日常」そのものなのだと思います。贈り物に気付くための、ゆとり。自分から気付きを得にいくための、ゆとり。

このことに気づけた私は今、きっと心にゆとりを保てているのだと思います。この感覚ってなんだろうと考えた時すぐに浮かんだ言葉が「豊かさ」でした。今日この時間に考えたこの豊かな出来事を、ずっと大切にしていきたいです。