Diary
「今」に向き合い得たこと
先日、中判カメラをもって、ちょっとした撮影にでました。カメラについてあーでもねーこーでもねー話をしながら、時にしっかり光景と向き合い撮影し、合間で美味しいご飯を食べたりした一日。
ところが、終わりがけに気付いた設定ミスのハプニングで、もしかしたら今日の写真全部がちゃんと写真に残っていないかもしれないという事態に。
その日レンズ越しに見た、感じた、受け取ったものが、手に取れないのかもしれないと知って、わたしの一日がなくなってしまったかのように悲しくなりました。立ち尽くすように、涙が出たし、余計なことを考える余裕も無くなり、悲しくて悲しくてたまらなくなりました。
気楽に撮影しようという言葉かけの元、心のままにシャッターを切っていました。作品としての写真だけではなく、思い出としてもかけがえのない撮影時間だったのです。それでもそこから20分ほど時間が過ぎた頃、ゆっくりと時間をかけ、考えが大きく変わりました。
今回の撮影はとびきり特別な日と言うわけではなく、日常のちょっと延長線上にあるような日。そんな日のこの出来事に涙を流せるなんて、私は今という時がこんなにも大切なんだと再認識できたことに、心が温められていきました。写真が戻ってこなくても、この出来事で得られたことはとてもとても大きい。
実は後日、想像したものではなかったけれど、写真は形にのこっていたことがわかりました。それでもどっちに転ぼうが、カメラというツールに成長させてもらえたと感じることができる大切な記憶になりました。
写真って、撮影って、、、
体験がたまらなく愛おしいのです。
(その日の写真はまた後日・・・)