Diary
写真を通して、命と向き合うこと。
昨年の10月、家族の大切な愛犬が旅立ちました。突然こんな話を・・・そう思う方もいらっしゃると思います。でも、写真家としてカメラを通し愛犬の死と向き合おうと決め、愛犬のほかにどんな時でも愛犬と一緒だった母や父、また姉家族の表情へも目をそらさず丁寧にシャッターを切ったことを是非伝えさせてください。
愛犬の名前はだいず。私がまだ10代だった頃、姉が突然子犬を飼うと言い出した時のことは今でも忘れません。そんな、まさか。うちに犬がくるなんて。きちんと愛情を注げるなんて思えないと感じていたことは簡単に打ち消され、家族全員から愛情を注がれあっという間に家族の中心になっていきました。
だいずが旅立って半年が経った今年3月の中頃。あの日以来、私は初めてその日の写真を見直したのです。正しくは、見直す事がそれまで出来なかったのです。
なんせ、わたしは泣き虫だから。鼻をグズグズにならしながら、彼らしさが残る写真へと一つ一つ丁寧に、現像を仕上げました。何故、私が机の上にあるメガネの写真を撮ったかなんて私以外だれもわからないかもしれない。それでも、私にとってこの光景がなぜか胸を打ち続けるのです。
甥っ子の、みんなのいつもと違う雰囲気を察した仕草も忘れられません。補正作業中さみしさが、わたしの全身にぎゅっとチカラをいれさせてくるけれど私は、写真を通してまたこの日に逢えたことがとても、とてもとても嬉しかったのです。
さみしさから心が優しくなっていくような、そんなことがあるのかと今でも不思議です。この不思議な感覚はきっとわすれません。写真を撮っていて、フォトグラファーで、よかった心からそうおもった出来事でした。
それからまた半年が経とうとしています。今でもその日の写真をみると、お別れの時の写真なのに元気な頃の記憶まで思い出してくるのです。それはきっと、ファインダーを覗きながら父や母、姉、そして穏やかな表情で眠っているだいずから、目をそらさずに、相手に想いを馳せながら撮影した、私のかけがえのない時間がそうさせてくるのだと思います。
この出来事を通してたくさんのことを気づかせてくれた彼に、心からの感謝を。もちろん、写真だけではなく人生の中で犬と共に暮らすという豊かな時間も教えてくれました。
ここまで読んでくださったみなさま、本当にありがとうございます。私はこれからもフォトグラファーとしてカメラと共に暮らしを歩んでいきたいです。