Diary

犬と暮らすこと

「犬」と書いたけれど、それはきっとどの動物にも当てはまることがあると思います。

先日、出張があったので両親の住む家に愛犬のハルを預けました。もう何度も一緒にお泊まりはしていますが、私が不在は初めてでした。両親も以前、別の小型犬を飼っていたこともあり(数年前に旅立ちました)、まるで孫のように可愛がってくれるので、ハルも家族にだいぶ慣れた様子です。

ハルを連れて両親と旅行へ行った時の写真

 

ハルは両親とともに4日に近い時間を過ごし、連れて帰る頃、母は涙を流していました。笑いながらも「寂しい、寂しい」と声をだして涙を流す姿。そうだよね、寂しいよね。だって、家の中から「犬」という動物が、ハルという子がいなくなるのですから。そんな気持ちは私にも痛いほどわかりました。

台所で食事の準備をしていればじっと見つめてきて、ソファに座れば横でクルクルと回ってストンと腰をおろしほんの少し体の一部が触れる温もり。フローリングの上を歩くときのチャカチャカとした足音、深く眠りについているときの、すぴーすぴーと聞こえる鼻息。それはもう暮らしの一部です。信頼関係を構築できた後の、驚くほどのコミュニケーション。まるで言葉を交わしているかのように、いえ、むしろ言葉以上に正しく理解し合えるような感覚にすらなります。触れているだけで、目を合わせているだけで、私が私でいられるような時間を作ってくれるのが、きっと「犬」なのです。

犬と暮らすということは、与えることの何倍も与えられることの方が多いのだと思います。大切な愛犬を亡くした母が、また一時的にその空間を取り戻し、ハルとの新しい時間をつくりだした4日間。きっと豊かだったのではないでしょうか。

ハルは驚くほど繊細です。抱っこも好き、撫でてもらうのも好き、人が好き。だけどどこか慎重で、じっくり様子を伺います。怒ることはほとんどないけれど、恐いと感じるセンサーは敏感で小さくなってしまうことも多いです。ですが、ただただ、本当に優しい。傷つけるということを知らないのです。

実家で過ごすハル

 

父はハルのことをよく「セラピー犬だ」と言います。間違いなく、母のセラピーになっていたのでしょう。保護犬なので一緒に暮らすようになったときにはもう成犬だったからか、私にとっては子供ではなく、パートナーという感覚が強いのですが、私はそんなハルが心から誇らしいのです。

こういったことを通して、いつも思うことがあります。動物と暮らすということは、その動物を人間と同じように捉えてはいけないのだと。犬は犬、猫は猫。彼らの習性や本能を尊重すること。そして個々が持つ気質や性格を認め、犬は犬として一つ屋根の下で共存することの素晴らしさを味わいながら、彼らの幸せを願うことが何よりも大切で意味のあることなのです。

ですが、いつもこんなことを考えているわけではなく、日常はただただ愛おしいなと思っていることが大半です!

 

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写真を通して命と向き合うこと