Diary
第五話:奥行きを見られる人でありたい【田中のにんまり日常茶飯事】
たまに行く美術館では大概、音声ガイドを借ります。作品ごとのストーリーはもちろん、当時の時代背景・作者の興味深い生涯などをわかりやすく教えてくれ、パッと見だけでは興味のなかった作品もポストカードをお土産にするほどのお気に入りになり得る、素晴らしいツールです。特に私のようなアート初心者には、もってこい。数百円の追加で何倍も何十倍も楽しめるので、未経験の方は、ぜひ一度お試しください。しつこいですが(笑)本当にオススメです。
本題ではないのでオススメトークは終わりにしますが、お伝えしたいのは…うわべだけでなく本質・背景を知りたい!奥行きを見られると面白い!ということ。芸術作品のみならず、いっさいがっさい、身の回りのもの全て、です。
例えば、木。大木に出会うと敬意を表したくなるのは私だけではない筈です。強く張り巡らされた根っこを想像したり、その樹齢を遡って歴史を考えると、その大先輩に触れて一礼さえしたくなるのです(一人ではちょっと恥ずかしいので、心の中でお辞儀します)。
数え切れないほどの嵐や雷・空襲や震災に耐えてきたのだろう、あまたの人間模様を静かに見守ってきたのだろう、と思うと、じわじわと、それこそ根から水を吸うように、パワーを貰えるのです。樹齢が4000年とも7000年とも言われる縄文杉に会いに行くのは未だ夢どまりですが、いつか叶えられた暁には、どれだけ立ち尽くしてしまうことでしょう。一緒に眠りたくもなるかもしれません。楽しみです。旅の計画さえ始まっていませんが、心から、楽しみです。
大木に限らず街路樹の一本一本も何もかもですが、そうして歴史を想像することで得られる栄養に、私は少しずつ作られている気がします。なるほど、私が古い建造物を好きなのは、だからなのね!同じ理由で温かい感情が生まれるからなのかも!と、これを書いている今、妙に納得できました。
ところで最近見たテレビ番組で、「蒲鉾は何でできている?」「イクラは何の卵?」といった、改めて聞かれるとドキドキしてしまうようなクイズがありました。わかるわかる、とホッとしたのも束の間、友人と昨年訪れた江の島でも「しらすって…何の子ども?」と同じような会話をしながら生しらす丼をいただいたことを思い出しハッとするのでした。
ただ、この番組を通して、蒲鉾なりイクラなり、食べ物が食卓に上るまでのプロセスを考えてみた視聴者がどれだけいたかと思うと、いい番組を作ってくれたものだと嬉しくもなりました。私自身忘れがちで、常日頃もっと意識しなくては!と感じているからです。まさか土に埋まっていたとは思えないような綺麗な人参、なんて序の口。原形を留めない「炒め用カット野菜」やら、切り身魚に挽き肉パック、調理済みの冷凍食品やら何やら…もちろん便利に使わせていただきますが、どのように調達されたか見た目に解りにくい物が増え、解らないまま口に運ぶこともあるのが現実です。
鶏のぶら下がった肉屋さんも、目の前でさばいてくれる魚屋さんも、私はまだまだ記憶にありますが、時代が進めば進むほど食べ物の成り立ちが解りづらくなっていき、尊い命をいただく意識が薄まりはしないかと、不安です。やはり無意識になってしまうこともありますが、牛さん豚さんをはじめ、関わった人々を想像しながら 「いただきます」「ごちそうさま」を言いたいものです。
物を見るとき、見えない部分に思いを馳せる面白さ。 忙しない毎日ではなかなか難しいこともありますが、奥行きまで見られる心のゆとりを保ちたい。ほんと、易しいことじゃないんですけどね。
【写真・文章】田中 弘美
田中 弘美
151画とは面白いつながりがありこの度特集を持つことに。生まれも育ちも東京都ですが都会の喧騒はあまり得意ではなく、緑の中での深呼吸やのどかな街の散歩、飼い猫をのんびり撫でるひとときが癒しです。