Diary

不透明な感情

どうも私は落ち込んだり自分がよくわからなくなっている時は、本当かどうかぼやけている感情と無意識のうちに戦っています。
怒りたいわけじゃないのに、イライラした素振りを見せてしまったり、泣きたいのにわらってしまったり。心の中ではざわついているのに、その不透明な感情を見て見ぬふりをしています。
自分に嘘をついているかもしれない、そして大切な人たちにも本当のワタシを見せられていないかもしれないという感情が自分を不安にさせたり、頭を悩ませ、少し経って一人になると一気に疲れが襲ってくるのです。
どうしようもないと思っていたその感情が、あるとき少しだけ整ったと感じた出来事がありました。
フィルム写真を撮っていると、一本のフィルムが使い終わってから現像に出して手元に届くので、長い時では一ヶ月以上も前の写真を時間を置いて目に留めることになります。写真は不思議なものでその四角い紙の中に写っている物や出来事だけではなくて見えていないもの、人、記憶までもが残ります。
過去の、不透明な感情を抱いているときに撮った写真を見返したとき「この時の私のは、心はぼやけていても、“そうしたかったんだ”」と思い出しました。それは時間がたったからこそ気づけた感覚なのではないでしょうか。写真はその“思い出す”というきっかけを与えてくれたのです。
ただ、そうしたかったと気付いた反面、大切な人にはちゃんと、透明な感情を伝えていきたいと思ったのです。