Diary

日常撮影専門のフォトグラファーが写真を撮る意味

「なぜ写真をとっているのですか?」そう聞かれたき、あなたは何と答えますか?写真を撮る理由は人それぞれ。 自分のためなか他者の為なのかでも大きく変わってきますよね。 今回は家族の日常撮影を専門としている私、木島がなぜ写真を仕事として撮ることになって、また、写真を撮り続けているのかをお伝えしたいと思います。 一人のフォトグラファーの考えとして、誰かの気づきのきっかけになればと願っています。


 
01.わたし木島のこと

右側が私です。151画メンバーの江守と年賀状用の写真をセルフで撮影した時のカットなのですが、基本笑のツボが浅い私は常にこんな顔で笑ってます(笑)
私は2017年の夏まで約10年間テーマパークの運営・管理に携わり人を笑顔にするプロとして様々な経験を重ねてきました。2016年の冬に江守との出会いをきっかけに2017年秋、フォトグラファーへと転身しました。フォトグラファーとしては異例の経歴だと思いますが、フォトグラファーになると決意したことは私の人生の転機になりました。
 
02.アマチュア時代

(2016〜2017年頃/アマチュア時代の写真)


初めてカメラを持つようになったのは高校生の頃だったと思います。結構マニアックだったというか、好きな場所で好きなキャラクターや人物、風景をただただ記録してプリントしたものを見てニヤニヤしていました(笑)授業用のノートに切り貼りしたり、女性はわかりやすいと思うのですが学生時代のプリクラ帳みたいな。

(2016年/アマチュア時代の写真)

 

アマチュアとして好きな時に好きなものを撮影していた時は、ただただ自分の為に撮っていました。撮り続けていくと写真を撮るという行為よりも、撮りたいと思う場所を探してファインダーを覗いたり自分が好きだと感じる空間を知ることができることに喜びを感じていたように思います。それは写真の質よりも体感なのかもしれません。そしてそれを繰り返すうちに写真というものにどんどん魅力を感じるようになり、必然的に世界にはすばらしい写真家が沢山いることを知ります。心を震わせるような素敵な写真を目にする機会も増えましたが、どんなに下手でも自分の写真はなんとなく好きだった記憶があります。

 
03.自分だけではなく写真を見た誰かが幸せになる

(2016年/アマチュア時代の写真)

 
そのうち撮影した写真を誰かが見て喜んでくれることがあることに気がつきました。あなたの写真が好きだよといって貰えることは確実に写真を続けていくモチベーションになります。それは写真を褒めてもらえるという感覚よりかは、単純に自分が好きなものを撮って見せた時、その好きを共感してもらえることが嬉しかったのです。ただ、その喜びを欲求してしまうが故撮りたいものを撮ることより相手が喜ぶ写真はなんだろうを考え優先させてしまった時期がありました。そんな気持ちで撮った写真が自分が思ったように撮れなかった時や周りの反応が少なかった時のジレンマは楽しいという気持ちとはかけ離れたものです。正直楽しくもなかったしなんだか勝手に疲れてしまっていました。そして自分も相手も幸せな気持ちになれる、そんなハッピーな写真が撮れたらと考えるようになりました。
 
04.プロのフォトグラファーへ

(2018年に撮影をさせていただいたご家族と)

 

アマチュアでカメラを握っていた時の仕事は接客や管理職だったので自分としてもまさかの変貌です(笑)。ご縁がありご家族の幸せを撮影するフォトグラファーの仕事を江守に紹介してもらったことがきっかけでした。それまでお金をもらって撮影なんてしたことがなかったのでプロになる挑戦はあまりにも不安が大きかったのですが、全面的なサポートにより技術とマインドを学びプロのフォトグラファーとして沢山のご家族と出会うことができ151画を立ち上げるまでに至りました。撮影前のコミュニケーション、撮影時、そして撮影後のコミュニケーション すべての時間に双方の幸せや喜びが存在する空間は私にとって何にも変えることができない素晴らしい環境でカメラを握ることができたのです。

 
05.プロとしての責任

(2018年 /151画:プロとして)

 
もちろんただ楽しく撮影できればいいわけではありません。お客様には満足ではなく感動を届けたい。その為に高い目標や厳しい基準を自ら持ち撮影を行い写真にします。それは日々成長していく為にとても重要なことでもあります。ただしその中で一つ一つの行動や所作に意味を持たせ、私たちの信念に裏付けされたスタイルは維持し私たちでないと作り得ない価値を追求し続ける必要があるのです。中でも私たちは関わるすべての人が幸せになることが重要だと考えています。もちろん自分自身もそれに含みます。
 
06.目的は何か それを叶える手段が写真だった

(2018年 /151画:プロとして)

 
プロのフォトグラファーに転身する直前の職は安定していました。ただ、当時自分がやりたいことをやれていたかというと首を縦に振ることはできなかったと思います。直接誰かに何か幸せな価値を提供することができたら・・・そんな風に考えることが多かったのです。

(2018年 /151画:プロとして)

 
私たちが151画を立ち上げた目的は「ご家族の日常の中で通り過ぎていく幸せや喜びを思い出に残す」ことです。そして私にとって写真とは、その目的を表現するためのひとつの手段。カメラはコミュニケーションツールであり、 その人や家族との対話を行い、深く知り、その人のために写真を撮り価値を届けるものだと考えています。その目的を達成する為に私は日々写真を撮り続けているのです。

 
07.写真が好きなら、まずは自分が好きな写真を撮るだけ



(2018年/ プロになった後のプライベートでの撮影 )


カメラや写真を趣味として好きで続けていると、きっと私と同じように自分にとって大切なことを見失ってしまうことがあるかもしれません。だとしても、写真が好きなのであれば自分が好きな写真を撮るということが何よりも大切だと思うのです。写真を撮るのが好きなのか、カメラが好きなのか、写真が好きなのか。撮るものは記録なのか 思い出なのか 感情なのか またはアートなのか。なぜ写真を撮っているのだろう。そんな問いに答えが出せず追い詰められてしまったら、目的を明確にしてみてください。私はその目的が、“ただなんとなく撮るのが好きだから”それでも十分だと思います。その “好き” を追求していけば良いのです。誰かのためではなく、自分が一番ハッピーになることを探してみてください。

 
08.これからどうなるかなんてわからない

(幼少期のわたし/撮影者 父)

 
アマチュア時代を通しプロになり数年。気持ちの変化はとても激しかったと思います。どちらかというと安定していた時のほうが少ないのではないかと思います。プライベートの写真が頻繁に残っている期間と、全く残っていない期間がはっきりしているのはそれ故でしょう(笑)。ご家族の撮影にお伺いする時は先ほどお伝えした通り「日常の中で通り過ぎていく幸せや喜びを思い出に残す」という目的にブレはないので写真をお届けした後のご家族の笑顔を想像することで安定した撮影ができていたと思います。ただ経験を重ねるにつれて技術面だけではなく表現の仕方や切り取り方に変化があるのは、責任と向上心の他に気持ちの変化を繰り返してきたことも大きく影響していると思うのです。

気持ちの変化はこれからも繰り返していくかもしれないし、ずっと写真を好きでいられるかもわかりません。けど、それくらいがきっと丁度良いんです。
 
まとめ
私たち151画はご家族と出会ってお写真をお届けするまでの全ての工程を“家族写真と撮るとこと”だと考えています。それは「ご家族の日常の中で通り過ぎていく幸せや喜びを思い出に残す」ということを目的に写真を撮っているからです。撮影という時間やプリントされた写真だけにとらわれず家族が今を大切にできることを一番に考え、記憶と共に思い出を残すことをこれかも続けて行きたいと考えています。
そして、自分が好きだと感じる瞬間をただただ切り取る。そんな時間が自分の気持ちを素直にし日々を豊かにすることにつながり今を見つめていくことができると思っています。

(2018年 /151画として)

【写真】木島夕貴
【文章】木島夕貴

 

江守 勇人 / 木島 夕貴

151画フォトグラファー兼ライターの二人組。プロフェッショナルとして写真や日常というキーワードと日々向き合い、様々なことに見つめ直しています。

日常風景の出張撮影 「151画」
“ 何気ない一日が、宝物。” をコンセプトとし、
通りすぎていく喜びを思い出に残すフォトサービス。